夕焼けがとても綺麗な日だった。雲一つ無い空が、徐々に赤く染まっていく。そんな空を寝転がり眺めている一人の少年がいた。まだあどけなさを残しつつも、精悍な顔立ちをした少年。情熱を帯びた青い瞳を空に向け、夕焼けに照らさせたその横顔は、どこか切ないが惹きつけられるものだった。そんな少年は、空を眺めながら物思いにふける事が好きだった。あてのない旅をする少年にとって、これから訪れる土地に思いを馳せらすのは道中の何よりの楽しみであった。
少年の今いる場所はそびえ立つ山々に囲まれ、その間を縫うように道が走っていた。道といっても、樹が多く生い茂り、草も伸び放題の所ばかりであった。少年はその道中の開けた場所で寝転がり空を眺めていたのだ。
どれ位時が経っただろうか。
『きゅるるぅ』
辺りの静寂にか細い音が鳴り響いた。
「腹減ったな」
かっこ良く決まっていた少年であったが、腹の虫には勝つことが出来ない。少年は勢い良く飛び起きると、深みのある茶色い髪を撫でて枯草を払い、辺りから燃やすことの出来そうな葉っぱや木の枝を拾い集め、焚火を起こした。そして、持っていた干し肉を炙り、豪快に噛りついた。
「早く美味い物を腹いっぱい食いたいな」
少年は軽い溜め息をつくと、あっという間に干し肉を平らげてしまった。この少年、見た目に反してかなりの大食漢であった。
背の高い山々は、空を赤く染めていた夕日をあっという間に隠してしまい、辺りに夜の帳を降ろした。
「ふぅ、夜はまだ冷えるな。おいで、ボコ」
少年がそう言うと、そばで木の実を啄ばんでいた大きな二足歩行の黄色い鳥が近づいてきた。チョコボである。ボコ、と呼ばれたチョコボは、少年と共に旅をしている大切なパートナーであった。少年はボコを座らせ、自分はその中に包まるように身を寄せた。少年はチョコボをなでながら優しく語りかけた。
「今日もお疲れ様。道が悪いから大変だったろう? 明日には町に着くはずだからもう少し頑張ってくれよ。この先に、タイクーンっていう国があるんだってさ。こんな山の中にある王国なんて、どんなんだろうな」
「クェ!」
甲高い声でチョコボが鳴いた。その声は、すっかり暗闇に包まれた辺りに響き渡った。
「なんでも、食べ物の上手さは絶品らしいからさ、腹いっぱい食べような。肉料理が良いかな、それとも、山の中だから野菜が美味いかもしれないな。それに、可愛い女の子も多いらしいし……」
「クェ! クェ!」
「そうか。ボコも楽しみか。でも、あんまり大きな声は出すなよ。何が寄ってくるか分からないからな」
少年は優しくボコの首元を撫でてやった。ボコは小さく頷いているようだった。そんな優しい会話を続けているうちに、暖かいチョコボに包まれた少年は深い眠りへと落ちていた。
翌朝。遠くで鳴いている鳥の声に少年は起こされた。まだ太陽は山から顔は出しておらず、空がうっすらと明るくなり始めたばかりだった。少年は立ち上がり、大きく伸びをするとそのまま腕、足等を念入りにストレッチし始めた。一通り伸ばし終えると、軽くジャンプを繰り返し完全に体をほぐした。
少年の一日の始まりである。薄い象牙色のアンダーに青い厚手の服を重ねただけの身軽な服装でジョギングを始める。足場の悪い山道を駆け回り、林の木を敵に見立ててそれをかわすようにジグザグに進んでゆく。元の場所に戻ると、腕立て伏せと腹筋を程よい疲れが出てくるまで続けるのである。
次に、愛用の剣を手に取る。新しくはないが綺麗に手入れされた細身の長剣に、少年の顔が映し出された。少年はそっと目を閉じ、魔物と戦うイメージを始めた。そのイメージに合わせて少年は剣を振り始めた。その繊細で、かつ切れのある動きは、かなりの剣の腕前を持っていることを示すには充分であった。
少年は自分の動きを確認するように、激しく剣を振るっては動きを止めイメージをし直す。そのトレーニングを続け、汗が頬を濡らすまで続けた。少年は剣を鞘に収め肩で息をしていたが、二度、三度と深呼吸をし、呼吸を整えた。少年にとって、この疲労感がかえって心地良かった。
太陽は山の頂から顔を出し、辺りはすっかり明るくなっていた。
「さあ、行こうか。ボコ」
ボコは少年がトレーニングをしている間に目覚め、辺りをうろついていた。少年はボコに近づき、体をそっと二回叩いた。ボコは体を低く屈めた。少年は小さくまとめた荷物をボコに括り付け、赤いマントを身に付けると、軽快にボコにまたがり、草木の生い茂る道を目的地へと向かってマントを翻した。
走り始めて間もない頃だった。ふと少年は異変に気付いた。ボコが走る足音とは別に、聞き慣れない音がかすかに頭上から聞こえていた。ふと空を見上げると、右手やや後方に太陽とは違う大きな物体が、確かに地上に向かって近づいているのが見えた。その様子を、少年はただ呆然としながら見続けていた。
「お、おい。こっちに向かってないか?」
物体は少年の頭上を通り過ぎ、少年の行く道の遥か先へと激突した。腹の底に響く轟音と共に、激しい砂煙が辺りに漂った。一瞬ではあったが、辺りは突風と大きな地震に見舞われた。少年は慌ててチョコボから飛び降り、身を地に伏し、辺りが落ち着くのを待った。砂煙が無くなり視界が戻ると、遥か先に小さな山が隆起したかのようにも見える物体の頭がはっきりと見て取れた。
「ボコ、大丈夫か?」
ボコは、体に舞い降りた砂埃を体を震えさせ払い落とすと、大きく羽を広げて一鳴きした。少年も頭を掻き毟り砂埃を払い、衣服全体を二、三回払った。
「何が起きたんだろう? 行ってみよう」
少年は再びボコにまたがり、その物体が落ちた所へと向かって行った。
物体に近づくに連れて、その落下地点を中心に木々が薙ぎ倒されており、木の焼け焦げた匂いが立ち込めてきた。やがて、物体の着地地点に辿り着いた。
「隕石か。すげぇな。」
少年は口をぽっかりと開け、隕石を見上げた。
足元は土がえぐれて剥き出しになり、その地面は真っ直ぐと隕石まで伸びていた。そこから見上げる隕石は、遠くから見るそれより遥かに圧倒される大きさであった。
少年はボコから降り、ゆっくりと辺りを見回しながら隕石へと近づいた。その時、
「きゃー」
若い女性の悲鳴が辺りに響き渡った。少年はその悲鳴が聞こえてきた方へと急いだ。少し森を入って行くと、三匹のゴブリンに囲まれた少女が目に付いた。少女は大きな樹の幹を背にし、左手にダガーを持ちゴブリン達を威嚇していたが、明らかに少女には怯えの色が見え、その肩は小刻みに震えていた。
ゴブリン達はその様子を楽しむかのように不気味に笑い、じわり、じわりと少女へと近づいていた。少女には、もう後がない。場には緊張した空気が張り詰める。その中でも一回り大きなゴブリンが足を踏み込み、少女に飛びかかろうとしたその時、
「やめろっ!」
その様子を見た少年は、すかさず剣を手にして急いで少女の下へと駆け寄った。ゴブリン達に向け剣を一振りしたが、素早いゴブリン達はとっさにかわし、剣はゴブリンの目の前の空を切った。一瞬ゴブリンがひるんだその隙に、少年は少女の前に立ち塞がり、ゴブリン達を睨みつけた。その眼光にゴブリン達は一歩後退る。しばらく睨み合っていたが、少年が剣を構え直し臨戦体勢に入ると、ゴブリン達はキィキィ奇声を発しながら退散していった。
「ふぅー」
少年は剣を下ろし、大きく息を吸い込み静かに吐き出した。女性の前では無駄な争いは避けたかった少年は、ほっと胸を撫で下ろした。息を整えながら、ゴブリン達が完全に見えなくなるのを確認していた。
「あ、ありがとうございます」
ふと聞こえた声に少年は振り返った。少女はダガーを下ろし、疲れきった様子であったが、少年に対してはまだ若干警戒している様子が窺えた。ノースリーブの服とスカート、そして旅人の服にしては高級そうなベルトは到底一人で旅をしている女性の姿には見えない。
「ああ、大丈夫かい? こんな所に女の子一人でいるなんて危ないな」
少女は無言のまま視線を下へ降ろし、少年から目を逸らした。
(言えない事なのかな?)
少年は困ってしまったが、優しく微笑みながら言った。
「俺はバッツ=クラウザー。世界中を当ての無い旅をしているんだ。君は?」
「私はレナ=シャルロット。この先のタイクーンから来たの」
レナはやっと緊張が解け、落ち着いた様子でバッツに微笑みかけた。バッツは突然向けられたそのあどけない笑顔に照れた様子で、そっぽを向き頭を掻きながら話し続けた。
「あ、ああ。この辺はゴブリンが多いようだから気を付けないとな。でも、どうしてこんな所に一人でいるんだい?」
少年は改めて聞いてみた。
「あの……急いで風の神殿に行かなければいけないの。周りの人には黙って出てきてしまったから一人だけど、それでもこの辺のゴブリンから身を守る位のことはできるんです。でも、この隕石が落ちてきた時の爆風に巻き込まれて、右腕を怪我してしまったから……」
レナは少し腫れた右腕をおさえた。その腕は全く動かないわけではないが、激しく動かすことは出来そうにもなかった。
「そうなんだ。ちょっと見せてもらっていいかな」
バッツはうろうろしていたボコを呼び、括り付けてある荷物から手当てできそうな物を取り出し、レナの腕を治療した。その腕にもあまり庶民的とは思えないブレスレットが身に付けられていた。
「これで良し。どうかな?」
レナは、上下左右に腕をゆっくりと振ってみる。大分楽に動かせるようになった腕に、レナは安堵の表情を見せた。
「本当にありがとう。これで、何とか近くの村までいけそうね」
大事に至らなかったレナを見て、バッツも自然と笑顔がこぼれた。そのまま、二人は会話を続けた。
「近くの村まで行ってどうするんだい?」
「チョコボを借りて、港町トゥールまで行くの。あとは船で風の神殿まで行けるはずだから。……それじゃ、本当にありがとう」
そう何度も礼を言って、レナは立ち去ろうとした。その時、バッツの耳に微かであるが人の声が聞こえてきた。
「待って、誰かいる」
バッツはその声のする方へと歩いて行った。レナも困惑しながら、ゆっくりとその後を追った。すると隕石の近くに、一人の老人が倒れており、時折苦しそうな声を上げていた。その老人は上下一続きのゆったりとした茶色い服を青い帯で巻き、その上には薄紫色の襟付きコートを羽織っていた。更に、その服にはバッツの見たことのない模様が施されていた。
「大丈夫かしら?」
レナは心配そうに老人の顔色を窺っていた。
バッツはその老人の意識の有無を確認しようと、軽く肩を叩いた。二度、三度繰り返すと、
「う、うう」
その老人は、小さく声を絞り出し、ゆっくりと目を開けた。完全に目を開けると、静かに起き上がり、辺りを見渡す。老人は直ぐには意識がはっきりせず、頭を大きく横に振り、再び辺りを見回した。緑に生い茂った木々を、近くに落ちている隕石を、穏やかに小さな雲が流れる青空を、そして、たった今声をかけてきた少年と、一緒にいる少女を。何度か繰り返してみているうちに、その表情は徐々に曇りだし、焦りと怯えを交え始めた。
「ここは……どこじゃ? わしはいったい?」
明らかに動揺し始めた老人の言葉に、バッツ達は驚いた。
「じいさん、大丈夫か? 記憶が無いのか?」
「うぅ、何も思い出せん」
老人は頭を片手で押さえ込み、左右に大きく振った。不安に駆られた老人の体中から、いやな汗がじっとりと滲み出ていた。
バッツはそのただ事ではない様子を感じていた。
「じいさん、名前は」
「名前……ガラフ……そうじゃ、ガラフじゃ」
「そうか、ガラフか。どこから来たんだ?」
ガラフは目を閉じ、頭を抱え、自分の記憶を必死に探り始めた。バッツとレナはじっとその様子を見ていた。
「……だめじゃ、思い出せん。名前以外、何も」
辺りを沈黙が包む。遠くから聞こえる獣の遠吠えが、別な世界で鳴らされているように感じられた。その沈黙を始めに破ったのはレナであった。
「……ごめんなさい。急いで風の神殿へ行かなければならないの。……この先にタイクーンの街があるから……そこでしばらく休めば、きっと良くなります……本当にごめんなさい」
レナはそう言い一礼し、その場を立ち去ろうとした。その時だった。
「……風の……神殿。そうじゃ、わしもそこへ行かなければならん気がする」
「えっ?」
ガラフはレナの方を向き、力強く頷いた。バッツとレナは驚き、二人で顔を合わせた。
「記憶が戻ったのか?」
「いや、じゃがそこへは行かなければならん気がする。頼む、わしもそこへ連れて行ってくれ」
ガラフはレナに頭を下げ、熱心に頼み続けた。
「ええ、構いませんけど」
レナは、その熱心さに負けたわけではないが、一人ではまた魔物に襲われてしまう恐れもあったので、共に行くことにした。ガラフはほっとした表情を浮かべ、立ち上がり体のほこりを叩き落とした。
「それじゃ、急いでいるようじゃし、早速風の神殿に向かうかの」
「ええ、行きましょう。バッツさん、本当にありがとうございました」
「あ、あぁ」
蚊帳の外で話が進み、バッツはただ呆然とその話を聞いていた。手を振りながら遠ざかる二人を眺め、その間に二人の会話を整理し、現状を必死で把握していた。
(怪我をした女の子と、記憶の無いじいさん二人だよなぁ……この辺、ゴブリンが多いから心配だな……じいさんも何者か分からないよなぁ……もしかしたら、すごく危ないことなんじゃ?)
バッツは早足で歩き始めた二人に、急いで声を掛けた。
「いや、ちょ、ちょっと待って……」
バッツが二人を呼び止めようとしたその時だった。腹の底に響き渡る大きな地響きがしたかと思うと、地面が縦に、横に大きく揺れ始め、三人は立っていられず、地面へと這いつくばった。大きな揺れはしばらく続き、三人はその揺れに身を委ねる他にできる事は無かった。揺れは徐々に治まったが、揺れている間にあちらこちらから木々が倒れたり、崖が崩れたりする音が鳴り響き、遠くに土煙が幾つか上がっているのが見えた。
三人は伏せたままお互いの安否を確認した。三人とも多少は体のどこかを打ち付けられていたが、大事には至ってなかった。三人は立ち上がり、深呼吸をし、気持ちを落ち着けた。
「こんなでかい地震は初めてだな。この辺は地震が多いのか?」
レナは大きく首を横に振った。
「そんなことは無いんだけど。この辺は地震は少ないから、私も初めて」
「そうか」
バッツは後頭部を掻き、右足のつま先で地面を蹴りながら少し照れた表情を浮かべ続けた。
「俺も風の神殿へ一緒に行くよ。怪我した女の子ととぼけたじいさんをほっとく訳にも行かないだろ。それに……」
バッツは視線をボコへと向けた。ボコは羽を大きく広げて見せた。
「チョコボが……要るんだろ?」
ボコは三人を乗せ、緩やかに下る山道を降り始めた。バッツ一人だけを乗せている時よりスピードは劣るものの、疲れた様子もなく勢い良く駆けていった。
バッツはボコの舵を取りながら立ち乗りをし、その後ろにレナとガラフが座っていた。レナは不安で胸が一杯であり、その不安が顔色からも窺えた。一方ガラフは、とぼけた顔をしていたが、自分が何故ここにいるのか、何をしなければならないのか考えていた。そんな二人を、バッツはちらちら見ながらこれからの旅のことを考えていた。
ボコが地面を蹴り上げると草葉が舞い上がるが、それはその場にひらひらと落ちていった。
「やっぱり、風は止まったままなのね……」
レナはそんな様子を見ながら、落ち込んだ様子だった。
「風が止まったまま?」
ガラフは、レナの言葉を繰り返した。
「やっぱり風のクリスタルに何か起こっているのね……」
レナにはそんなガラフの言葉は届かず、独り言のように風の心配をしていた。
さらに進むと、真っ直ぐに伸びる一本の道に差し掛かった。『風の通り道』と呼ばれる道で、風の王国、タイクーンと山の麓とを繋ぐ重要な道である。両脇は高い崖で囲まれており、絶えず風が吹き抜ける場所である。大きな荷物を運ぶ馬車やチョコボ等は、ここを通るほか道はなかった。
「……様子がおかしい」
ボコの頭の上から前を見ていたバッツの目に、真っ直ぐに伸びているはずの道が途中までしか見えなかった。さらに進むと、道の脇の崖が崩れ『風の通り道』を塞いでしまっていたのが分かった。剥き出しの土が、新しい小さな山を作り出したかのようであった。
「これは、越えられなさそうだな。どうする?」
バッツは困った顔をしながら、レナを見た。この辺の土地鑑がありそうなレナに頼ったのだ。レナもそれを察したらしかったが、レナにも解決策が見出せなかった。
「この道が駄目だと、すごく遠回りして細い山道を通らなければいけないの。あとは……少し来た道を戻って、森の中を抜けると大きな洞窟があるの。その洞窟から一気に海岸まで降りることができるけど……」
レナは目を伏せてしまった。
「どうしたんだい?」
「その洞窟には海賊のアジトがあるらしいの。見つからなければ一番の近道だけど、見つかると命の保証はないって……」
「なんだ、そんなことか」
異様な程不安そうなレナに、バッツは安堵の笑顔で返した。
「そんなことって、バッツさんと、ガラフさんを危険な目に合わせるわけにはいきません」
「心配するなって。なんとかなるさ。急いでるんだろ?」
「そうじゃ。ようは見つからなければ良いんじゃろ?」
二人は目を合わせ声を上げて笑った。その声に、レナの不安も薄れていった。
「二人とも……ありがとう」
「それじゃ、行こう!」
ボコは、今来た道を再び風を切り始めた。
「それとさ、レナ。『さん』付けはやめようぜ」
バッツは振り向き、軽くウインクをした。
(気取りおって。若いのぅ)
ガラフは口にしようとした言葉をぐっと飲み込んだ。
・・・・・・以下本文へ続く
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